扶助

拳について前回の後輩への指導で思ったことから
もちろん、これまでの指導の問題もあるのですが
それはひとまず置いておいて・・・(無責任か?
ガクが折れない、譲りが得られない、ハミ受けできない
といって苦戦しているところをよく見ます。
勿論、原因としては騎座や推進/馬の前進気勢の問題などありますが
それなりに安定した騎座であって、出来るときは出来るのに
出来ない時はまったくもって対処できないという人がいます。
馬の状態がそれだけ悪い時もあるでしょうがそれだけではないように感じます。
それだけではない、の原因のひとつとして考えられるものとして
拳操作の自由度というものについて書いてみたいと思います。
ここでは、あくまで騎座やらなにやら他の部分は最低限のレベルであると仮定します。

ほとんどの場合、手綱は控える(引く)か許す(譲る/緩ませる)で表現されます。
が、実際に騎乗者が行う手綱操作はそれだけしかしてないのでしょうか?
それなりのレベル以上の運動をよく見ているとわかりますが、
もっと複雑な手綱捌きを行っているところが見て取れると思います。
上級者となればごくわずかな動きの違いで馬に伝えてはいますが
それでも、その時々によって小さな差異が認められると思います。

手綱操作は空間的に行うという表現を目にしました。確かにその通りだと思います。
どういうことかというと、上のような二種だけではなく、
上下左右その時々にあった手綱操作を行うということです。

手綱操作に限りませんが、扶助とはプレッシャーの強弱と
馬の理解の組み合わせによるコミュニケーションだと思います。
馬がバランスを崩したり、間違ったバランスをとったりした場合には
正しいバランスへと馬体を戻さなくてはなりません。
そのための手段として、手綱と操作があり、それをささえる騎座があります。
当然のことながら馬のバランスは平面の世界のことではありません。

なので、プレッシャーのかけ方も空間的でなければならないのも当然でしょう。
こう考えると、拳の先行がなぜいけないかもわかってきますし、
拳を使うなという指導がありながら拳操作がありうるという矛盾じみたことも解決します。
おまけとして、なぜの先行という言い方が無いかといえば、
馬は後躯により推進され前駆によりその力をコントロールする生き物だからです。
そのためにあらゆる馬術の目標はバランスバックにあるんだと思います。

他人の騎乗を見るときに、その人自身だけでなく、また馬だけでもなく、
その組み合わせから、それぞれの反応から、技術を盗んでいってみましょう。
乗ってるつもりになって馬のバランス・動きを感じてみましょう。
なぜ騎手がそのような操作を行ったかを考えて見ましょう。
案外、ちょっとしたことで行き詰ってたものがうまくいくかもしれません。

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