日本語

誤用はよく言われることですが言語とは移り変わるもの・・・
だから、役不足だとかなんだとかの誤用は知識として知っておくのとは別に使って構わないと思うんですよ。
なんせ、そっちの方が一般的になっていたりするものもあるわけですし通じることが一番ですからね。
そういうところにいちいち目くじら立てて正しい日本語がどうだとか勘弁してくださいと。


そもそも、そういうこと言う人にはその人の時代の日本語が正しかったのか?
今の学校の国語が正しいのか?という話はまったくなし。
ただ、日本語がダメになっているみたいなこと言ったって「で?」って話なわけです。
そもそも、学校文法も英語圏のを参考にむりやり当てはめて体系だてたので
齟齬も多分にありうるものなんだから・・・


けど、やっぱり、なんとなく許せない誤用ってのもある。
いつも思うのが『須らく』『蓋し』
須らく・・・べしじゃないとダメなんていう批判はおいといて
すべてという意味ですべからくを使ってる人が多すぎる
「必然的に」とか「当然のように」という意味であってだから
自然と「べし」かそれに意味的に対応するような語末でないと
違和感を感じるのが普通でしょう。


蓋しも「なぜなら」の意味で使う人が多い。
まぁ、法学やってる人は誤用が定着してるんだろうから
その世界内で言っているうちは良いとして
蓋し〜〜であると思うとか言われるとなんか違和感を感じる。
(現代語訳 思うに〜〜であると思う。)


普通に使っている言葉で十分に表現できることを
わざわざ難しくみえる語を使おうとして失敗している感が出てなんか痛いと思われてしまう。
要するに、使えないなら簡単な言葉で言えばいいじゃん?てこと