コミュニケーション

馬に関わらず・・・ってところだが、
コミュニケーションをとると言った時に
それは、必ずしも言語コミュニケーションや
精神的な繋がりといったものを意味しない。
もちろん、そういったものもコミュニケーションではあるが
条件として必要なのはなんであれ「やりとり」に限る。
優れた感覚を持つ人・経験豊富な人なら馬などの顔を見ただけで
その感情を読み取って実際に当ててしまったりもするが
そうでない人にはそこまで読み取ることなんかは出来ないだろう。
じゃあ、初心者はそんなこと気にしないで
そのための技術的なものを養えばそれでいいか?
言い回しの問題にもなるが、そうではないということを言いたい。
そのような技術的なものを養うために
相手とのコミュニケーションを気にするべきである。
だって、それが出来ないからという人は
コミュニケーションというものを難しく考えすぎているだけ。
上記のような心を交わすといったことも
コミュニケーションの一種であるがそれがすべてではない。
ジェスチャーで何かを伝えるのだってそうだし、
叱る為に痛い思いをさせ、褒める為に優しくするのも
コミュニケーションの一種である。
では、実際のところどうすればいいのか?
ただひとつ、相手のことに気を配ること。
例えば、馬であれば導きたい方へのプレッシャーをなくし
導きたくない方へのプレッシャーを強めればいい。
相手の反応を見て、こちらが反応してやり、その反応を見てまた反応する。
まさに、方法が違うだけで会話と同じことをしているだけである。
必要なのは、観察力・集中力と根気と一貫性。
そのコミュニケーションの質・程度は人によって違えども、
ほとんどの人にできることであるのは間違いない。
動物と関わるからには言葉が通じないからこそ、そこに気を配ってあげよう。
それがしつけの原点。調教の原点。
人の姿勢や技術も大事だけど、そこに馬がいることだけは忘れないように
飽くまで、馬への指示で馬にやってもらうものだということを忘れないように
大事にして、可愛がって、でも自分が馬にとってのリーダーであるように