銜受け考

馬術の妙技の中でも、銜受けというのはどこでも聞かれてどこでも重要視されているように思われます。
しかし、乗れる人乗れない人に関わらず、銜受けに対するイメージの表現は個々人で異なり
少なくとも、明確化されたひとつの概念ではないように思われます。
なかには、コレが銜受けというものはないとさえ言う人もいます。
ですが、ここではあえてもうひとつの視点で考えて見ましょう。


一般的に銜受けといったとき、前述のような技術の話になるわけですが
それが馬体の部分名称として使われることはご存知でしょうか?
どこを指すのかといえば、まさしくをくわえる部分、ちょうどクチの歯のない部分を指します。
だから銜受けはあります(笑)


と、それはさておき、ここで述べてみたいのは銜受けというのは騎手における技術的な概念ではなく
馬がを受け入れている状態を指すべきものとしてあるのではないかということです。
当たり前じゃん、と言われればそれまでですが、ここでは、騎手がを受けるという概念もあえて否定してみます。


というわけで、解説していきましょう。
銜受けはよくガクを譲って鼻面が90度にあるイメージを持って語られます。
では、鼻面が90度であることがハミ受けなのかと言われればそうではなく、
を受けていなくても姿勢だけ作ることも可能であったりします。
だから、まず銜受けと馬の取る姿勢には絶対的な関係性はありません。
もちろん、はっきりと銜受けしていないといえるような姿勢もありますので
相関性がまったくないというわけではありません。
重要なのは、銜受けを語るに当たって姿勢が問題なのではないということです。


ガクの譲りが必要であるのかといえばそれもまた疑問です。
ガクは譲ったもののそのままから逃れてしまう馬もいますし
そもそもガクの譲りに関係なくしっかりを押して動くのをよしとする人もいます。
その場合にはそういった銜受けの考え自体が間違えだという意見もありえますが、
ここで問題なのはではどういったものが銜受けなのかであって
少なくともガクの譲りそのものとは別にあるように思われます。


そこで、騎手の手綱が張ってあること、拳にを押す感触をえることが重要という考え方が出てきます。
これは、その通りといわれるのですが、ここではあえて疑ってみたいと思います。
まず、一流のライダーを見ても手綱を緩ませた騎乗を行っていますし
左右のは均等な力で持たなければならないにもかかわらず、内方手綱が緩んで居たりします。
このようなとき、きちんと銜受けしていないといえるのでしょうか?
また、ウェスタ馬術においてはルースレインでの騎乗も行われます。
手綱はたるませてあり、拳の扶助を使う際も手綱は張りません。
それにもかかわらず、ウェスタ馬術でも多少の構造の違いがあるとはいえを用いています。
ウェスタンではを使っているのに銜受けはしていないというのでしょうか?


こう考えた上で、銜受けが出来ているとされる人の共通点を見返してみると
自分の知る限りでは、単に馬が騎手の拳()操作を抵抗なく受け入れている状態を指すように思われます。
拳にを押す感触を感じるというのは馬がを受けている時にそれを感じることが出来るということであって
人が実際にそのような感触を得られるかどうかは必ずしも必要なことではないのではないでしょうか?
騎手がを受けるのではなく、馬がを受け入れることを銜受けとするというのが自然であるように感じます。